意味を食べる。|奈良のイベントを終えて その3

2015年6月末に奈良でイベントを開催してから思うところがあって書き始めたブログですが、忙しさを言い訳に先延ばしにしていたのですが書きます。すみません。
 

3 DAYS TO GO  イベント3日前の夜 

私はJeromeと奈良に入った。到着してすぐさま用意された食材たち。豊富で鮮やかな野菜に私たちは少し胸をなでおろした。

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ナイフを借りて、ポリポリと野菜をほうばりながら、「キュウリは皮が柔らかいからこっちがいい、コーンはこちらのほうが良いね」など、どんどんメニューを考えながら試食をしていく。

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白いイチゴに目がとまる。


Jeromeが、「このイチゴはなぜ白いのか?」と言う。聞くと「とても珍しい」と返ってきた。
以前の投稿で「こだわり」という言葉は、時に思考を停止させるのではないかと書いた。

食材における「珍しい」という言葉にも、同様の危険性があると思う。

検索すると『話題沸騰”白イチゴ”の秘密に迫る!』という記事があった。その記事は山梨の白いイチゴの話だが、大きいもの、味がいいもの、色が違うものなど、イチゴの様々な親を掛けあわせて新しい品種をつくる育種の過程で偶然出来上がった品種だと書かれてあった。

ひと粒、数千円もするイチゴも世の中にはあると聞く。人間の意図によって付加された価値に希少性を感じ、高級料理店などで高いお金を対価にその「珍しさ」も一緒に口に入れて味わう。

出来る限り食材の美味しさを引き出し、シンプルに調理された私たちの18,000円のディナーはそれと何が違うのかと考える。私たちは、お皿の上にあるものと一緒に何を提供し、食べてもらい、そこに何の「意味」があるのだろうか。

試食に戻ります。

お願いしていた冷凍の鴨も調理してもらい、焼き加減を細かく指定し、何度かテイスティングを繰り返した後に、一晩、塩水に漬けて明日の朝味をみたいと言ってその日の試食は終わりにした。

2DAYS TO GO イベントまで残り2日

翌朝、Nomadicの料理人のひとりの野村友里が到着し、昨日、Jeromeが口にして選んだほとんどの野菜を育てているグリーンワーム21の柏木さんの畑に向かった。

奈良市内から1時間半ほど車で移動し、代表の柏木さんに挨拶して畑を案内いただいた。草が生えた畑に育つ野菜をみて「Bob の畑に似ている」とJeromeが言った。

ボブ・カナード氏は、カリフォルニアのバークレーにあるオーガニックレストラン Chez Panisse のメインの農家さんで、オーナーのアリス・ウォータース氏との親交も長年に及ぶ。Green String Farm という農場や野菜の直売所を経営し、若い農業家を育てる教育機関も運営している。今年の夏、農場でボブさんから聞いた話しを思い出す。

 

自然によりそって育てられた物だけを食べていたら

世の中は自然と良くなる。

良い食事は、良い人を育て、良い社会をつくる。

 

「どこにでもあるファーストフードばかり食べるから、戦争がおきるんだ」という風にも聞こえた。

(多分、そんなことも言っていた)

私たちは、いったい何を食べているんだろう。

食の仕事をしていると、背景にある「ストーリー」という良くわかるようで分からない都合のいい言葉をよく使う。そこでは、その物語を伝えること、そして物語をただ消費することに重きがおかれ、そこからそれぞれの主体性を感じることが、実はできない。

その土地で収穫された食材が、大都市を経由して、再度、地元のスーパーに並び(もしくはインターネットで)それをあなたが安く購入し、食卓で食べているというくらい複雑化した大量生産の食の流通。その中で生産者の顔写真や情報などのストーリー以上に、食べ物には何が含まれているのか。

先日参加したワークショプで『自分の仕事をつくる』の著者の西村佳哲さんが、“人は「意味」を食べて生きている”と言っていて、心にぐさっと来るものがあった。

意味という言葉を辞書で調べてみた。

いみ【意味】 2. 行為・表現・物事の、それが行われ、また、存在するにふさわしい、価値。

今の時代は、地域で育てられたものを中心に食べていた時代とは違い、大量生産によってもたらされる社会とつながった「意味 = 存在するふさわしい価値」を、人は調理された食材と一緒に食べているんじゃないかと思う。その「意味」を一緒に食べる行為は、自分自身の健康以上に、私たちの意識に影響を与え、そして食べることは、毎日にのことで、みんなのことだから、良くも悪くも社会を大きく変化させてくんじゃないか。そんなことをボブさんは私たちに伝えようとしているんだろうと思う。

自分たちが毎日食べてるものが、自分の身体を健康にもしてくれるし、逆に社会をむしばんでいくこともある。毎日の食事と社会は繋がっていて、その「意味」をみんなで見つけようとする主体性のある行為そのものが大切なのではないだろうか。

 

くどくなったので話を奈良の畑に戻します。

収穫が終わりかけた畑だからとは言っていたが、草がぼうぼう生えた間をかき分けると色々な種類のカブなどが丸々と育っていた。

その畑の草のなかに、「アカザ」という雑草があった、柏木さん曰く、その雑草を農地に緑肥としてすき込むと栄養価が高く土に良いんだと言う。野村友里の母親(なぜか、畑にお母さんもいた)が、戦後の貧しい時期には、みんなこの「アカザ」という雑草を食べていたと話していた。Jeromeは野村友里と相談しこれもイベントで出したいと言った。

別の畑に移動すると、そのトウモロコシとナスタチウムの花が隣接した畑で育てられていた。

前日の試食で生で食べても美味しい柏木さんのトウモロコシを味見していた。それを食べてJeromeは、Chez Panisseの伝統的なレシピのコーンスープを出したいと言っていた。そのレシピは非常にシンプルで、水とトウモロコシだけでつくられており、最後にナスタチウムバターをひとすくいスープに落として出される。

彼は、当初からこの奈良のイベントでは同じ環境で育てられた食材だけで料理を出したいと譲らなかった。それが意図せず目の前に現れた。

イベントで実際に出されたChez Panisseの伝統的なレシピで作られたコーンスープ。参加者からは、「水とコーンだけでつくっていると聞いて水っぽさを想像したけど、そんなことはなく、ものすごくフレッシュで美味しい」との言葉をもらった。

イベントで実際に出されたChez Panisseの伝統的なレシピで作られたコーンスープ。参加者からは、「水とコーンだけでつくっていると聞いて水っぽさを想像したけど、そんなことはなく、ものすごくフレッシュで美味しい」との言葉をもらった。

「なず菜」にあったChez Panisseのレシピブックを取り出し、このコーンスープのレシピは俺が書いたんだとメンバーに自慢するJerome。

「なず菜」にあったChez Panisseのレシピブックを取り出し、このコーンスープのレシピは俺が書いたんだとメンバーに自慢するJerome。

最後に、グリーンワーム21の母体でもある陽光ファーム21では、合鴨農法でのお米の栽培も手がけている。その鴨たちは、その土地で育った商品にはならなかった有機の野菜と田んぼの雑草などを食べて育ち、役割を終えた後、絞められて彼らが経営する予約制の農家レストランで鴨鍋などで提供されている。そんな循環を長年繰り返している。

お米は、育てられる前から買い手がついている状態で、毎年みんな首を長くして、そのお米の収穫を待っている状態だと聞いた。そんな中、都会からノコノコとやってきた私たちに分ける米などないのが当たり前の話である。一度は、代表の方からお叱りを受け、お米と鴨肉の提供は断られてしまった...。

疲れ果てた料理人たち。しかし!そんなことで引き下がらないのがNomadicの支配人です(汗)。

私たちの活動の目的が「地域をこえた食のつながりを育てる」こと、そして、和歌山や小布施、女木島や高知など日本各地での作り手との関係が継続して育っているなどを深くご説明し、そのためならと、なんとか食材を分けていただいた。

これで、Jeromeが思い描いていた奈良の食材がほぼ集まった。

最後に陽光ファーム21の社長さんとJeromeは、なぜかハグをしていた。(いつも最後は持っていくw)

最終回は、イベント当日の話を書きます。