食事会の予約受付を開始して数日が経った。
募集はそこそこ順調。食材探しは変わらず難航。価格は、18,000円(ドリンク別)の着席のディナー会だった。
繰り返しになるが、大和牛のディナーという内容で告知済みだった。
数日後、我々の受け入れ先でもある奈良の『くるみの木』の担当の方から、冷凍ですが鴨はどうですか?との話をもらった。数日かけて豚やら鶏やら猪やらの他の食材を色々と検討してもらっていて待ったなしの状況。
その鴨は、奈良の宇陀という地域でカモ農法(生産者さんはそうよんでいる)で農薬や化学肥料を使わずお米を育てている農家さんの鴨だった。昨年その役目を終えた鴨をシメて自分たちで経営する農家レストランの鴨鍋用などに冷凍してあるものだった。
料理人たちに確認すると、「冷凍の状態はどうか?」「 もも肉は骨付きで冷凍されているか?」更には「今、田んぼで働いている鴨は、分けてもらえないのか?」 などの質問が帰ってくる。残念ながら肉は骨付きではなく、さばかれた状態で冷凍されており、今、田んぼで働いている鴨は、まだ役目を終えていないので難しいとの回答だった。 当たり前の話である。しかしながら「18,000円のディナーで、肉・魚料理が出ないというのはないよね?」という話になる。
------------------------
あなたがこの18,000円のディナー会に参加するとしたら、何に対してお金を支払うのだろう?
お皿に乗せられている料理を食べるためだろうか?
それとも、食事の背景にある物語を知ることで得られる学びのためだろうか?
食することは「生きる」ためであり、また一方で「快楽」のためでもある。(と思う)
そして食べる意味は、この2つが複雑に絡み合っている。
そして対価である、お金の価値とは何なのか? このイベントの参加費で考えてみたい。
------------------------
Chez Panisseでヘッドシェフとして働くJeromeがアメリカから来ていること。Nomadic Kitchenの料理人たちが自分たちの店を閉めて集まること。食材をいちから探して、メニューをゼロからつくり上げ、即興で料理を仕上げていく技術力とタフな精神性を要することを考えると決して高くはないと思っている。
料理人たちは、より良い食のための活動においては、自分たちが手弁当であっても比較的「リーズナブル」に食事を提供することをモットーとしている。収支を預かる支配人としては、いつも料理人と値段について議論になる。
通常、Nomadicのイベントの収支を考える時、「利益」をいくら残すという発想はあまりなく、イベントを準備する時の思考プロセスは、以下のような感じになっている。
まず、各地でご一緒する作り手の「想い」を中心にすえる。彼らと想いを共有し、その後、お互いに学び続けていける関係性を育めなければ、私たちの活動に何の意味もない。その想いにズレがあるとイベント後に必ずと言っていいほど違和感が残る。
次に、今回、何を伝えたいかを軸に、屋外や屋内、テーブルなどの会場のしつらえから、シーティングやスタンディングなどを検討し、参加してもらえる人数を考える。通常、40名から多くても100名程度。ここから、できるだけ参加していただきやすく、かつ赤字にならないぎりぎりのラインの参加費を設定する。
その後、最低限のスタッフの人件費、会場装飾の費用、移動経費、宿泊費などある程度かかる経費を算出する。そんなことをしていると、私たちの人件費どころか渡航費も毎回危うい状態になる。また現地に行ってからの出会いが多くを左右するので、この時点で食材やメニュー等が決まっていることはほぼないが、おおよその食材費を予算として参加人数からはじき出す。
言うまでもないことだが、食材を「無償」で提供してもらうことは決してない。
以前、某野菜宅配企業の広報担当の方に「Nomadicと一緒に何かできませんか?食材をただで提供するので。」と言われたことがある。その企業は農家さんのものをきちんと仕入れていて、部署などの事情も色々あるのだろうけど、食べ物を大量に仕入れて、大量に売るということは何かが違うのだろうと感じ、ご一緒してもそこから何も育たないだろうと思い、申し出はお断りした。
食材のこと、食べる意味、その対価である、お金の価値を考えることは、Nomadicの活動の存在意義を問うことだと思っている。「何を食べているか」を知り、それを「どう食べているか」を感じる。それは、生きるためなのか、それとも快楽のためなのか。
私たちは、非常に複雑化された「食産業」と多様な「食文化」の学びの旅の途中である。みんなで一緒に食べることで「消費者」の立場を捨て、より良い食のコミュニティーを育てる「共犯者」になってもらいたいと思っている。
話を戻します。
現地に向かう日程が翌日だったので冷凍の合鴨をテイスティング用に手配してもらった。次の日、私はJeromeと一緒に奈良に向かった。彼は、「行って何とかしよう」とつぶやいた。それがイベント3日前の夜だった。事前準備に費やせるのは、当日の仕込みの時間を除けば丸2日。
正直、まだ何も見えていない状態だった...。